今年はMille Migliaが誕生して80年という記念の年となります。
1921年北イタリアの古都ブレシアで記念すべき自動車による第一回グランプリレースが開催されましたが、このグランプリレースは1925年ミラノ郊外に新設されたモンツァサーキットに舞台は移され、モータースポーツをこよなく愛するブレシアの人々は意気消沈し、何とか再びブレシアにスポットをあてたいと願っている中、4人の男達の発案によりサーキットではなく一般公道を舞台にレースを開催することを計画しました。
コースはブレシアからローマまで南下し再び別ルートで北上、ブレシアにゴールするという総走行距離1000マイル、イタリア語でミッレミリア、これをレースタイトルにすることに決め、1927年3月26日101台の参加によって第一回“Mille Miglia”は誕生しました。
ちなみに、この年の優勝車はゼッケン14番の0M Tipo 665 Sport、時間は21時間04分48秒でした。
その後、この偉大なる公道レースは第2次世界大戦中の中断を除き24回が開催され、参加する各国の自動車メーカーはこぞってMille Migliaに勝つための車を開発し、Piero TaruffiやTazio Nuvolariなどの語り継がれる名レーサーが勝利しましたが、中でも1955年のStirling MossとDenis Jenkison組のMercedes Benz 300 SLRは1000マイルを10時間余り平均時速約160KMという大記録で優勝し、この記録は破られぬまま1957年悲劇が起こりました。
デ・ポルタゴ伯爵の駆るFerarriがタイヤのバーストに起因するスキッドによって沿道の観衆を巻き込む大事故が起こりました。
事態を重くみたイタリア政府は主催者に対しMille Migliaの開催を認めない決断を下しました。
しかしながら、1970年代イタリア経済がやや下降気味の中、再びイタリアが脚光を浴びるべくBrescianiが立ち上がります。1957年に中止を余儀なくされて以来20年後の1977年Mille Migliaは世界で最も美しいクラシックカーの祭典として蘇ったのです。
復刻版Mille Migliaは、コースこそブレシア~ローマ~ブレシアという当時と同じ設定でありながらスピードを競うものではなく、イタリアの名所旧跡を巡るスタンプラリーを基本とし、参加資格車は1927年から1957年のMille Migliaに参加していたスポーツカーという条件でした。
“7”という数字はMille Migliaにとって~Number of Destiny~運命の数字と言われます。
それは、1927年に始まり1957年に中断し1977年に復活したからです。
La Festa Mille Migliaにとっても“7”は運命の数字です。
Mille Migliaの70周年にあたる1997年に産声をあげ、昨年節目の10回大会を終え、本年2007年は次なる目標、海外からの参加者との交流をはかる国際化への初年度となるからです。
La Festa Mille Migliaは本拠地ブレシアのMille Migliaとはその歴史、参加台数、参加国数など遠く及ばないものの、参加者、沿道に集まる観衆、関係者達の沢山の笑顔は全く同じです。
今年のLa Festa Mille Migliaには、遠く海外から多くの参加者がやって来ます。
大会が国境を越え世代を越え、更に多くの笑顔に溢れることと思います。
『古いものに敬意を』『いくつになっても心少年』『イヴェントに参加するすべての人々と友情の輪を広げる』という3つの基本精神のもと、我々は継続を合言葉に大会を構築して参ります。
そして、いつの日かLa Festa Mille Migliaにも語り継がれる伝説が生まれると信じます。
La Festa Mille Miglia 組織委員会 |