小田原城ODAWARA CASTLE
小田原どん温暖な気候と海・山・川の揃った豊かな自然に恵まれたまち、小田原。春夏秋冬を通じ、旬の食材が豊富に産する「食」のまちでもあります。「小田原どん」は、三つのこだわりで小田原自慢の食材をおいしく調理し、遠来のお客様をおもてなしします。 【三つのこだわり】
梅干し江戸時代、国府津から二宮にかけた海岸一帯には見事な塩田が広がっており、ここから採れる塩が小田原の漬物の生産を支えてきました。小田原の漬物といえば梅干が有名ですが、これは戦国時代に北条氏が、その薬効と腐敗防止作用から軍用として梅干作りを奨励したことから始まり、江戸時代には薬用・食用として庶民の間に広がりました。この頃から大規模な梅の産地となり、梅干しは旅人のおみやげとして重宝されるようになりました。 小田原の曽我地区を中心に栽培されている「十郎梅」は、皮が薄いため栽培や加工にはたいへんな手間がかかりますが、肉質がなめらかで梅干用品種の最秀品といわれています。 小田原かまぼこ江戸時代後期に、江戸の日本橋から小田原に移り住んだ職人が、相模湾のオキギスを原料に板蒲鉾を完成させました。小田原は当時、豊富な水揚げを誇る港町であり、箱根水系の良質な水処であったことに加え、たくさんの人が通る東海道の要所を占める城下町であったことから、小田原かまぼこは全国に広まりました。また、板にすり身を扇形に盛りつける形も、この頃生まれました。 現在でも、グチなどの魚と良質な水を原料に、肌ツヤよく、きめの細かい、弾力ある歯ごたえの小田原かまぼこが作られています。小田原蒲鉾協同組合では、手作り蒲鉾の技能指導を行なうなどメーカーの壁を越えて技術そのものを継承しており、伝統の味と技術を守り続ける心意気とこだわりが、いつの時代も愛される小田原かまぼこの味を支えています。 石垣山一夜城歴史公園天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大軍を率いて包囲、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。世にいう「太閤一夜城」とは、築城に当たり、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採、これを見て小田原城中の将兵が驚き志気を失ったことに由来すると言われています。実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。国指定史跡。
街かど博物館小田原に古くから栄えた地場産業を中心とした地域資産に磨きをかけ、訪れる人々に街の歴史や魅力を知っていただきたい。そんな小田原の思いを込めて「街かど博物館」がオープン。 既存の施設にこだわり、商店・工場などを改装することにより、工夫を凝らした展示、さらにはお客様の体験を通じて、小田原の産業に関わる人・製品・ものづくりの結び付きを知ってもらうことが大切であると考えています。 古くから脈々と受け継がれてきた名物の歴史をその目で見、どのようにして出来上がるか技術を体感することで、なおいっそうこの街の魅力に引き込まれるでしょう。「歴史の街」小田原を隅々までご堪能ください。
松永記念館・老欅荘「松永記念館」は、戦前・戦後を通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に自宅の敷地内に設立、昭和54年小田原市に寄付されました。国登録有形文化財の「老欅荘」は、耳庵の居宅であり、その上り口にそびえる欅の大木に由来しています。 耳庵はここで多くの茶会を催し、当時の有名な茶人・政治家・学者・建築家・画家などを招きました。
小田原文学館 白秋童謡館日本近代文学の祖といわれる北村透谷、文化勲章を受章した尾崎一雄や川崎長太郎ら私小説家、民衆派の代表的詩人・福田正夫をはじめとする小田原出身の文学者のほか、谷崎潤一郎、三好達治、北條秀司、長谷川如是閑ら小田原に在住して執筆活動を行った小田原ゆかりの文学者の資料を展示しています。建物は、幕末の志士で、元宮内大臣でもある田中光顕伯爵が別邸として建てたものです。庭は和洋折衷の様相を呈し、四季折々の美しさを堪能できます。 (国登録有形文化財)
登録有形文化財 清閑亭(土地は国指定史跡小田原城跡三の丸清閑亭土塁)黒田長成(元貴族院副議長)の別荘として、明治末期から大正初期に建てられました。 雁行状平面で数奇屋風の丁寧なつくりが特徴。材質及び技法に優れている純和風建築であり、歴史的文化的価値が認められることから、平成17年7月12日付けで、国の登録有形文化財に登録されました。 現在、周辺地域の邸園文化を紹介する交流拠点として運営されています。
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