飯山シャンツェIiyama Schanze
高橋まゆみ人形館高橋まゆみ人形館は人形の世界と、その舞台であるふるさとの原風景が同時に楽しめる、そんな場所づくりをめざして長野県飯山市に2010年4月開館しました。雁木とよばれる雪国ならではのまちなみ。ガタゴト音をたてながら通りすぎるローカル線。そして、時おり聞こえる鐘の音。そんな昔ながらの懐かしい風情を残す寺町の一角に人形館はあります。
なべくら高原 森の家「なべくら高原・森の家」は長野県飯山市の最北部なべくら高原にある、グリーンツーリズムの拠点施設です。6haの敷地内には喫茶や各種研修にご利用いただける「センターハウス」、イベントにご利用いただける半野外施設「こもれび」、宿泊は森に囲まれた10棟の「コテージ」、車いすやベビーカーでも散策可能なユニバーサルデザインの遊歩道「ブナの里山こみち」などがあります。 季節によって表情を変えるなべくら高原の自然とともに、皆さまのお越しをお待ちしております。
道の駅「花の駅・千曲川」道の駅「花の駅・千曲川」は日本最大河川・千曲川の中間地点にあります。
小菅神社小菅神社は、明治時代の神仏分離まで、新義真言宗に属する小菅山元隆寺といい、かつては戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として隆盛を誇りました。来由記によると、仏法を広めるのに相応しい地を求めて諸国を巡っていた修験道の祖・役小角が小菅山に出合い、白鳳8(680)年に小菅山を開山し、大同年間(806~810年)に坂上田村麻呂がこの地を訪れ、八所権現本宮や加耶吉利堂を再建したほか、修験寺院・小菅山元隆寺を創建。これが小菅神社の起源とされています。 小菅権現を祀り、さらに熊野、金峰(吉野)、白山、立山、山王、走湯、戸隠の七柱の神々を観請して、八所の宮殿を石窟内に祀ったという記述が残されています。また平安時代後期には、本地垂迹思想が定着し、熊野修験が入り込んで、小菅山の確立に寄与しました。
正受庵臨済宗の再興者、道鏡慧端またの名を正受老人が終生を過ごした庵。禅道場としても有名。道鏡慧端は松代藩主真田信之の子で、飯山城で生まれ育ち、若くして仏教に帰依、江戸や東北各地の寺院で修行を積む。 やがて悟りを開き帰郷した道鏡慧端のために飯山城主松平忠倶がこの庵を建設し、師の至道無難から贈られた「正受」の扁額を飾って正受庵と名付けた。臨済宗中興の祖といわれる名僧、白隠慧鶴の師としても知られている。 現在の本堂は弘化4年(1847年)の善光寺大地震の後に再建されたもの。
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