La Festa Mille Miglia 2017

企画主旨

企画趣旨23歳のレーサー、アイモ・マッジ伯爵、銀行家の息子フランコ・マッツォッティ伯爵、レーサーのレンツォ・カスタニエート、スポーツジャーナリストのジョヴァンニ・カネストリーニ、この4人によって、1927年(昭和2年)イタリアの古都ブレシアをスタートしローマまで南下して再びブレシアまで戻ってくるという公道のスピードレースが企画され、全行程1000マイルということからミッレ・ミリア(イタリア語で千哩の意味)というタイトルが生まれました。

各国の自動車メーカーはミッレ・ミリアとフランスのルマン24時間レースに勝つ為のスポーツカーを製造し続け、1955年、スターリング・モスは1000マイルを10時間少々で走りイギリス人として初めて優勝しました。この記録を破るべく年々スピードが上がった結果、1957年デ・ポルタゴ伯爵の駆るフェラーリが観客を巻き添えにするという大事故が発生、事態を重く見たイタリア政府はミッレ・ミリアの中止を命じ、スピードレースのミッレ・ミリアは幕を降ろしました。ミッレ・ミリアの復活を熱望したブレシアーノは1977年、往年のルートを舞台とするスタンプラリーとして開催し、それから5年後ミッレ・ミリアは蘇り、現在では35カ国以上の国から参加する世界で最も美しいクラシックカーの祭典と称されるまでになりました。

1992年イタリアから正式に承認されたミッレ・ミリアが日本で開催されました。
タイトルは La Festa Mille Miglia(1000マイルのお祭り)、イタリアの委員会との共催により世界25カ国から50台の名車が参加し、成功裏に終わりました。

その5年後、イタリアのミッレ・ミリアが誕生して70年後の1997年、現在の形式の La Festa Mille Miglia がミッレ・ミリアの姉妹イベントとして誕生。その後、国際クラシックカー連盟からも公認されたイベントとして毎年秋に開催され、本年20年を迎えます。

大会は「古い物に敬意を」「いくつになっても心・少年」「イベントに参加するすべての人々と友情の輪を広げる」という3つの基本精神を掲げています。
また、しっかりとメンテナンスを行う、紳士的な運転を心がけるといった事を通じて、沿道の皆様に車両整備や交通マナーの尊守の大切さを啓蒙する事も、La Festa Mille Miglia の大切な使命の一つでもあります。

我々は車文化を通じ「笑顔が広がる」ことを願います。

La Festa Mille Miglia 2017 組織委員会